セーラー服のマルガリータ
娘がまだ中学生だった頃、朝の学校への送りは私の仕事であった。娘を校門で降ろしたあと、学校沿いの裏道を通って帰るのであるが、その時にすれ違うひとりの少女に、いつも心を奪われていた。私は彼女のことを密かに「セーラー服のマルガリータ」と呼んでいた。
マルガリータと言えば、すぐ思いつくのが定番のカクテルであろう。テキーラ40ml、ホワイトキュラソー5ml、レモンジュース15mlがそのレシピ(レシピについては諸説あり)。私がシェーカーを振るときは、ハードシェイクにして、氷のチップを多めに、舌触りをまろやかにする。テキーラをジンに替えるとホワイトレディ、ウォッカに替えるとバラライカ、ラムに替えるとXYZ、ブランデーだとサイドカーとなる。覚えておくと便利なカクテルだ。1949年のカクテル・コンテストで3位となったジャン・デュレッサー氏が、若くして亡くなった恋人・マルガリータを偲んで、その名をつけたといわれている。ロマンチックなエピソードとエレガントなスノースタイル(カクテルグラスの縁に塩をまぶす)で女性の受けもいい。
当然のことながら、私が彼女を「セーラー服のマルガリータ」と呼ぶ理由は他にある。
私にとって「マルガリータ」は、マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ。スペイン王女にして、後の神聖ローマ皇帝の皇后である。バロックの巨匠ベラスケスが三歳から十歳までのマルガリータの肖像画を幾つも残している。最も有名なのは「ラス・メニーナス」。スペインの至宝と言われている。嬰児を死産で亡くす不幸を何度も味わい、そして自らも二十一才という若さで夭折した若き王女。スペインとウィーンの両ハプスブルグ家の思惑に翻弄されながらも、与えられた命運を懸命に生きた。スペイン継承戦争の遠因になったとはいえ、歴史に埋もれるはずの短い人生は、ベラスケスの天才により歴史に名を留める。さらにその絵画に触発されたラベルが「亡き王女のためのパヴァーヌ」を作曲する。この優雅で繊細なト長調の曲は、ラベル初期の傑作と言われる。王女マルガリータ、宮廷という狭隘なうつし世に咲き、夢の如く散った一輪の花。波瀾も万丈もないその生涯は、芸術という赫々たる遺産の中で、思わぬ輝きを放つことになる。
しかし、私が件の少女を「セーラー服のマルガリータ」と呼ぶ理由は別にある。
あれは忘れもしない若夏の朝。いつものように娘を校門で降ろした私は、脇をすれ違う生徒と視線が交差し、ハッとして振り返る。小学生の様なかわいい顔立ちをした男の子が、セーラー服を着て登校していたのだ。少し日焼けした頬に、きりっと結んだ唇。生真面目でしかつめらしい少年の横顔とセーラー服の不調和に困惑する。形容に苦慮するこの生徒について夕餉の席で娘に問う。
「お父さん、あれは一学年下の女の子だよ。野球部。野球がやりたくて丸刈りになってんの。五分刈りが野球部の規則なんだって」。
それを聞いて、奇異な目で彼女を見つめた自分を恥じた。自らの意志を貫く、なんと崇高で気高き丸刈りなのだろうか。好奇や同情や揶揄を遙かに超えて、健気でひたむきな「セーラー服のマルガリータ」。彼女の明るい未来、輝く将来に思いを馳せると、心軽やかになる。そして、見栄や外聞に翻弄される自分が小さく思えてくる。朝の通学路、見かける度に心の中で呟いていた。「頑張れ、そしてありがとう」。
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